研究者を目指すあなたへ

不可ニモマケズ

牧野 良輔(岩手大学)CV
2024年4月

以下は、実話を元にしたファンタジーです。どこまで本当なのかは、ご想像にお任せします。

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牧野は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の教員から単位を奪わねばならぬと決意した。牧野には繁殖学がわからぬ。あと、遺伝育種学と組織学と発生学と行動学がわからぬ。生理学と解剖学は3年続けて受講したが、やっぱりよくわからなかった。牧野はイーハトーブの地で畜産学を学ぶ大学生であった。サークルに入り浸り、酒を飲み、友人と遊んで暮らして来た。けれども栄養学に対しては、ちょっとだけ興味があった。牧野には金がなかった。奨学金をたんまり借りて糊口を凌いでいた。ある日、空腹を抱えながらコンビニエンスストアの店内を歩いているうちに、ある閃きが降りてきた。
「人間はカロリーで動いているのではないだろうか」
「そうだ」と、心の内から声がした。
「では、成人男性が必要とする2,200 kcal程度を摂取すれば、十分に生きていけるのだな?」
「そうだ」と、脳裏に響いた声は、やけに力強く断言した。
「では、最も安く、最もカロリーの取れる食べ物を買おう」
 牧野は単純な男であった。少ないお金でなるべく多くのカロリーを摂取するという、冴えたやり方を思いついた己の才智を褒め称えながら、のそのそと陳列棚の商品を見比べ、費用対カロリーが高そうなものを探した。やがて超大盛と書かれたカップ焼きそばを手にレジへ行った。およそ200円で1,000 kcalが摂取できる、優れた食べ物だ。調理の手間もない。牧野はその夜、いそいそとカップ焼きそばを食べた。美味い。翌日も、そのまた翌日も、牧野の手は焼きそばをたぐり続けた。
 異変に気がついたのは2週間ほど過ぎたある朝のことである。目は覚めているのに酷く体が重い。しっかりとカップ焼きそばを食べているのにいつも空腹感が消えぬのである。おかしい、おかしい。カロリーさえ摂っていれば良いのではなかったのか。
 残念ながら、牧野は栄養学の知識が乏しかった。ヒトが生きて行くためには、カロリーだけでは駄目なのだ。カップ焼きそばには糖質と脂質、それから塩分はたっぷりと含まれているが、タンパク質、ビタミンそしてミネラルとのバランスは一顧だにされていなかった。牧野は知らなかった。糖質や脂質はエネルギーへと正しく変換しなくては使い物にならない。そのためにはタンパク質、ビタミンそしてミネラルの助けが不可欠であった。身をもって栄養学の大切さを学び、やはり栄養学をきちんと身につけようなどと思ったものである。
 その頃、同級生の間ではある特定の話題で持ちきりであった。牧野はその様子を怪しく思った。何を話しているのか尋ねると、同級生はあたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「みんなの成績と、配属を希望する研究室をさぐっているのさ」
「なぜ探っているのだ?」
「希望する研究室に行けるかどうか、成績が大事になってくるんだ」
 さて、牧野は首を傾げて思案した。ありとあらゆる単位を落とし、友人からは「お前の成績表、”不可不可”して柔らかそうだな」と揶揄されていた。しかし牧野は生得の楽観主義者である。成績の心配はしていなかった。それどころか、行きたい研究室を考えては心を弾ませていた。やはり興味があり、生きるために必要な栄養学をやるのが面白そうだ。しかし、栄養学と言っても、牧野が学ぶ学科にはヤギとヒツジとニワトリの栄養学をそれぞれ専門とした教員がいた。どの教員に師事しようか。そんなことを考えていると、ニワトリの栄養学を専門とした教員に呼び出された。
「牧野くん、このままだと留年だよ」
 晴天の霹靂であった。確かに取得できた単位は少ない。特に一般教養科目はその悲惨さ故に、誰もが成績表を直視できない有様である。しかし、留年は困る。これからは心を入れ替えて単位を取得するので、研究室に入れて欲しいと牧野は頭を下げた。しかして、多大な恩情を賜り、牧野はその教員の研究室に配属してもらえることとなった。それからの牧野は怒涛の勢いで単位を取得した。かつては高邁な理想から蛇蝎の如く嫌った過去問をかき集め、友人たちからノートを拝借し、羞恥に耐えながら後輩と同じ授業を受けた。かつて邪智暴虐と思われた教員はその実、真面目に勉強する人間にはいたく優しく、しっかりと単位をくれた。完全に逆恨みをしていたことを知った牧野は恥ずかしくなり、単位取得を知らせた掲示板に深く一礼した。その甲斐あってか、無事に留年することなく卒業できた。しかし、4年生にもなって1年生と同じ数の授業を受けている人間が、就職活動をすることなど不可能であった。半ば必然的に修士課程へと進学した。
 栄養学、と一口に言っても、その実、非常に多くの未解明なことがある。牧野が興味を持ったのは、ニワトリの血糖値が高いことであった。なぜか、ニワトリの血液中には多くの糖が含まれている。ヒトと比べて3倍ほど多くの血糖を持つニワトリは、糖由来の物質もたくさん持っているのではないかと考えた。過去の報告を調べてみると、意外なことに、先人たちの掘り残しがたくさんありそうだった。なるほど、これは面白そうだと研究を始めた。
 修士課程のころになると研究が実に面白いものであると気がつき始めた。指導してくれる教員は博識であるし、実に楽しそうに研究をしている。この研究というものを職業にしてみようかと思うまで、そう時間はかからなかった。牧野はその旨を指導教員に伝えてみた。
「研究を仕事にしたいのですが」
「博士課程に行きたいということかな?」
「そうですね」
「そこは地獄の一丁目だけど、本当に行きたいの?」
「はい」
「よろしい、では論文を書きなさい。そして特別研究員の申請もしなさい」
 なぜ論文を書くのか。特別研究員とはなんなのか。全く分からなかった。地方大学に博士は少ない。少なくとも知り合いにはおらず、頼れるのは師匠たる指導教員だけであった。素直に従った。実際に博士課程に行くまで、師匠は「本当に進学するの?」「博士課程は地獄の一丁目だよ」と脅し続けてきた。しかし牧野は持ち前の楽観さでしれっと進学した。論文を少し書いて、運よく特別研究員にもなったし、修士課程で借りた奨学金およそ200万は返済しなくて良くなった。
 広大なインターネットの海には様々な情報があふれている。牧野が漂っていた頃は、博士を取っても食べてはいかれないとか、8%くらいは行方不明になるとか、一部のエリートしか教員になれないとか、不安を煮詰めた泥の海であった。しかし、牧野は物事を深刻に考えない質であった。宝くじを当てるよりは幾分かマシな賭けであろうと思った。牧野はいわゆる「吸う、買う、打つ」をやらない男である。おそらく人生で一番の博打が博士課程への進学であろう。不退転の覚悟、というにはあまりにも軽く、研究者の道を進むことにした。
 博士課程そのものは実に平穏であった。黙々と研究に明け暮れた日々であった。ただその中にあって、沸々と、自分の研究がしたいという気持ちが溢れ始めていた。牧野に巣立ちの時が近づいていた。
 ある時、「愛媛大学でニワトリの栄養学を専門とする教員を募集しているよ」と他大学の先生から情報をいただいた牧野は、半人前の身を自覚しながらも、早く職を得たい気持ちを止めることができなかった。ものは試しと自らの心に予防線を張りながら応募したところ、ありがたくも採用していただけた。愛媛大学は、学位取得前の学生を採用するという蛮勇とも思える度量の広さを示した。さらに、所属した研究室の主催者である教員は、自分の研究を好きにやってよろしいと言う、これまた度量海の如き大人格者であった。
 それから牧野は、荒れた川を渡ったり、山賊と戦ったりするくらいの七転八倒を繰り広げ、リジェクトにも不採択にも負けず研究者としてオロオロやっているのだが、それはまたいつか語られる日があるかもしれぬ。

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さて、こんなに長々とした文章を読んだ奇特な読者には、ある程度この牧野という人物の人となりが分かったかと思われる。フラフラと、その時々の楽しさと興味で将来を決める男である。溢れんばかりの運の良さ、そして周囲の人格者たちに恵まれた男である。ありがたくも博士号を取得して、こうして研究者を名乗っているが、まかり間違えばその日暮らしをしていたかもしれない男である。
 もし誰かがこの文章を読んだことで、こんな人でも研究者になれるなら博士課程に進んで研究者になりたいと気の迷いを見せるかもしれない。多分多くの人は、辞めておけと言うだろう。でも、それで辞めてしまうくらいであれば、博士課程には進まない方が幸福であろうと思われる。冷静な周囲の人々の声に流されることなく、自らの好奇心に従えるか。研究が面白いのでこれを仕事にしようと楽観的に、享楽的に決められるかどうか。そして、その結果に自らの責任を持てる者のみが、研究の扉を開くのだと信じている。そんな我の強い、面白い人と一緒に研究できる日を待ち望んでやまない。なお、あなたが研究の扉を開いてしまった責任はとらない。

「牧野くん、このままだと留年だよ」と告げられる前にやっていたサークル活動の図

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